竹原慎二の膀胱がんのステージは?完治したと見て間違いない?
プロボクシングの元世界チャンピオン、竹原慎二。リングで闘う姿を直接見たことがなくても、バラエティ番組「ガチンコ!」での独特の存在感に惹かれたという人は、多いのではないでしょうか?
その竹原慎二が、膀胱がんに冒されて闘病中とのニュースがリリースされたのは、2014年11月のこと。
竹原慎二の膀胱がんのステージは、いくつだったのでしょうか?すでに完治したと見て良いのでしょうか?竹原慎二は、自身のブログで、2016年6月27日から闘病日記を記しています。その日記を元に、竹原慎二の膀胱がんの状態を、見てみることにしましょう。
抗がん剤治療と並行して手術
竹原慎二の体に最初に現れた異変は、血尿でした。ただし、血尿が出ても、竹原慎二は、あまり気にかけなかったと言います。体調の変化に病気を疑うようになったのは、痛みが次第にひどくなってのこと。精密検査を受けた竹原慎二は、医師から膀胱がんという病名を告げられます。診断を受けた時、すでにリンパ節への転移も見つかり、ステージIII。ステージIIIの5年生存率は、40%です。
手術の前に、抗がん剤で骨盤リンパ節にあった転移がんを小さくする試みがなされます。竹原慎二が受けた抗がん剤治療は、2クール。結果は上々で、骨盤リンパ節に見られた転移がんは、4分の1ほどに縮小していることが、確認されます。
肺、腎臓、肝臓なども調べたところ、その他の遠隔転移はないことも確認され、竹原慎二は、「辛い副作用に耐えた甲斐があった」と、ブログに記しています。
膀胱全摘除術の手術は、8時間の予定でしたが、実際には11時間かかりました。ブログには、手術が長引き、不安と闘う家族を、事務所の社長が励ましたことなどが、記されています。手術は、問題なく終了し、竹原慎二は、家族の手の温もりに、生還を実感します。
スポンサーリンク
葛藤と後戻りと立ち止まりを経て前向きに
ステージIIIという現実は、竹原慎二にとって「生きるか死ぬかの瀬戸際まで行って」いたと感じられるものでした。竹原慎二は、9月3日のブログに「癌になって気付いた事」と題して、次のように記しています。「どうせなら前向きにいこう。言うのは簡単だが、そこに行き着くまでにはかなりの葛藤と後戻りと立ち止まりがありながら、それでももがいてあがいて前を向いてきた。」もがき、あがいた時に、自身が試したことを、竹原慎二は、10月4日のブログで紹介しています。
この先やりたいこと、前向きな言葉をノートに書く、ゆっくりお風呂に入って叫ぶ、鏡を見て無理やり笑う、家族にありがとうと言う、それでも苦しい時は、涙が止まるまで泣く。
竹原慎二は、膀胱がんとの診断を受けてから、食事や生活習慣を徹底して見直しました。膀胱がんの宣告を受けてから、1年4ヶ月、肉をほとんど食べなかったと言います。病気が分かって、最初に肉を食べたのは、妻の誕生祝いを兼ねてのこと。久しぶりの焼肉を楽しみにし、お腹を空かせて行って、たらふく食べるつもりだったのに、久しぶりすぎて、あまり食べられなかったと記しています。
そうした外出の際に、竹原慎二が何より気にするのは、トイレ探し。膀胱全摘除術を受け、人工の膀胱をつけている竹原慎二は、2~3時間おきに排尿しなくてはなりません。しかも、腹圧をかけて、かなりの体力と時間を使わないと、排尿できません。手術後、自己導尿をしている人も多いそうです。外出時には、まずトイレを探す、しかも、個室を探す苦労が、9月22日のブログに記されています。
10月14日のブログに記された、現在の竹原慎二の目標は、ホノルルマラソンで5時間を切ること。術後76kgまで落ちた体重は、82kgまで回復し、10km走って、本番に備えているそうです。
今回のまとめ
痛みがひどくなって、精密検査を受けた時には、すでにステージIIIの膀胱がんだった竹原慎二。5年生存率40%という現実に、当初は、再発や転移への恐怖心に苛まれたと言います。術後2年が経ち、経過観察中ながら、ようやく過去を振り返る余裕と、差し当りの目標を設定できるようになった様が、詳細にブログに記されています。ここに至るまでの葛藤に、共感する人は、多いことでしょう。
スポンサーリンク
↓ ↓ ↓
関連記事
関連記事はありませんでした